最近の急激な円安で物価が上がり、私たちの生活に様々な影響を及ぼし始めていますが、札幌工場も例外ではありません。
コロナ、原材料不足などの影響で、部材の価格が高騰して、苦労しているところに円安ですので、正直言ってかなりきついです。
手元に、イギリスの模型趣味雑誌「Model Engineer」の1983年4月号があります。本誌の発行元はイギリスの出版社ですが、アメリカでも販売されていたようです。実はこの雑誌には、札幌工場で製造していた初代のL943旋盤の広告が掲載されています。
当時、札幌工場では小型旋盤の海外輸出に力を入れており、欧米を中心に、それなりの実績を上げていました。
その頃の為替レートは、1ドル250円前後だったと思います。
相当な円安・ドル高でした。
日本企業は製品をどんどんアメリカに輸出し、日本経済も絶好調でした。
逆にアメリカは、輸出減少と輸入拡大による、貿易赤字に悩まされていました。
このため1985年9月に、日本を含む先進5か国の蔵相がニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高を是正する合意がなされました。
いわゆる「プラザ合意」です。
この後、何が起こったか。
合意時点で1ドル約240円だった為替レートが、3ヶ月で220円になり、1987年末には約120円まで円高が進みました。
以後30年以上に渡って、円高・ドル安傾向が続くことになります。
いずれにしましても、円高によりL943も次第に価格競争力を失い、輸出台数も大きく減りました。
台湾製の小型旋盤が出回りだしたのも、この頃です。
そして今、円安です。
部材を含む現行の製品を、全て札幌工場で作っているのであれば、円安を利用して輸出をするという発想もあり得たでしょうが、今は、大半の部材を海外から調達しているので、輸出はかなりハードルが高いと思います。
さらに言えば、L943を製造していた時代にお世話になった部品メーカさんも、殆ど残っておりません。
昔は円高で苦しみ、今は円安で苦しんでいます。
私たちの力不足もあり、為替レートの変動では、いつも翻弄され続けています。
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